東京地方裁判所 昭和37年(ワ)7445号 判決
以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。
〔事実と判断〕原告は被告にたいし四口合計金五五万円、利息月五分、弁済期昭和三二年二月二七日(但最終のもの)の貸金債権を有するので、みぎ貸付金の元利金の支払を求める、みぎ消費貸借契約は被告の代理人である夫小川武次郎との間でなされたが、かりに前記各契約のさい右小川武次郎において被告を代理する権限を有なしかつたとしても、原告は右各契約締結のさい小川が被告の代理人として本件各契約を締結する権限があると信じ、かつそう信ずるについて正当な理由を有したものであるから、被告はその表見代理人たる右小川のなした行為につき原告にたいし責任を負うべきである。
すなわち被告と小川とは十年以上の夫婦であり、本件契約以前に小川が銀行から営業資金の貸付をうけるにさいし被告はその所有の建物を担保に提供した。更に被告は小川が被告名義の銀行当座口座をその営業資金の出入のために使用することを承認してをり、銀行と交渉取引するについて被告は小川に代理権を与えていた。以上の諸点から仮に本件各契約の締結が小川の代理権限踰越行為であつたとしても、原告において小川の代理権を信ずるについて正当の事由があつたというべきである、とかように主張した。
被告は小川と夫婦であつたとしても、被告は結婚前から日本舞踊の師匠として生活を営み、被告の営業に関係したことは全くない、しかも本件貸借当時は事実上離婚し、別居していたものであると述べ表見代理の成立を争つた。
判決は、被告と小川とが本件各契約当時夫婦であつたには相違ないが、被告が主張するような特殊な夫婦関係にある以上、原告としては被告にたいし代理権の有無につき確認する手続をとるべきであり、しかもそのことは左程の手数を払わずになしうると認められるから、金融業者たる被告としては調査義務を懈怠したというべきで、正当事由が存んずるとはいいえないとして表見代理の成立を否定し、つぎのとおり説明している。曰く。
「本件契約締結当時、被告と訴外小川とは夫婦であつたことは当事者間に争ないところであり、証人小川の証言によれば昭和三〇年一二月頃右小川がその営業資金として自己の名義で六〇万円、妻である被告の名義で三〇万円を借受ける際、右小川に於て被告を代理して被告所有の建物に抵当権を設定しその登記手続をなしたことが認められ、更に本件契約締結以前に被告名義で訴外城南信用金庫に当座預金口座を設け被告もこれを承諾したことが認められる。しかしながら一方証人小川の証言並びに被告本人尋問の結果によれば被告は本件各契約が締結される以前から日本舞踊の師匠として訴外小川とは独立して生計を営んでおり、小川と夫婦になつてからも小川の経営する訴外有限会社旭電話店とは別の住宅に住居しており、右訴外会社に対し出資その他営業に関係する行為をなしたことは全然ないこと、被告は小川の前認定の抵当権設定や当座預金口座の利用を止むなく承諾したけれども被告の両親はこれに反対し被告も小川の事業に関係することを避けていたことを認めることができる。又証人万波の証言及び被告本人尋問の結果によれば、原告の使用人等が本件各契約当時直接被告に会つて訴外小川との代理関係の有無につき確めたこともなく、又確かめようと努力したことはなく、却つて本件各契約当時原告は被告が訴外小川と共同で訴外会社を経営していると信じていたことが認められる。原告が、本件各契約のなされた当時、以前に訴外小川が被告を代理して借財並びに抵当権設定、登記手続をなした事実及び被告名義の当座預金口座を使用していた事実を知悉していたことはこれを認定するに足る証拠はない。而して原告に於て、被告が右小川と共同で事業を営んでいると信じていたとしても、斯く信ずるに至つたについて格別の理由があつたことは本件全証拠によるも認定できず、漫然と斯く信じたに止まるものと認められる。そして前認定のような特殊な夫婦関係にあつた被告と小川との間である以上原告としては、被告に対し代理権の有無について確認する手続をとるべきでありその事は左程の手数も払わずになし得ることであり、そうしたならば前認定の事実関係にある本件では、容易に小川に被告の代理権の無いことに気付いた筈であつたと云うべきである。そうだとすると小川に被告の何等かの代理権があり又あつたとしても、金融業者たる原告として尽すべき調査の義務を懈怠したものと云うべきであり原告が本件各契約締結当時訴外小川に右契約締結について被告を代理する権限があると信じたことに対し正当な事由が存するとは云い難く、結局被告に表見代理の成立を認めることはできない。」